zeroの可能性(真実と正義)

 少し前になりますが、畑で作業をしていると、周辺道路のあちこちで測量作業が始まりました。気が付くと、周辺道路だけでなく、我が家の畑の中のあちこちにも杭が打たれていました。断りもなく、そしてすでに作物が植わり、育ち始めているにもかかわらず。

 杭が打たれた我が家の畑のそばを通る道は、小学生の通学路になっています。昼間はほとんど交通量が無く静かですが、通勤、帰宅そして買い物に向かう車が朝晩は多くなります。バスやトラックなどの大型車両が来ると、離合が厳しい狭い道ではありますが、余裕で離合可能なところが数カ所あり、対向車がいれば、いつもその場所で停止して待つように私はしているので、特に不便を感じることはありません。
 ですが、10年ほど前に様々な理由を付けて、道路拡幅の要望が出されていたようなのです。それが今になって、我が家の畑を含む多くの田んぼを崩して新たな広い道に付け替えるという形で動き出しました。我が家の畑の地主さんは、土地は売らないと断ったそうなのですが、とりあえず測量するだけだからと説得され、気が付けば立派な図面が出来、後戻りできない、反対の声を上げられない様な状況になってしまいました。
 直接の利害がなく、ただ道路を通過するだけの人にとっては、大歓迎なのでしょう。早く進めて欲しいという声の方が多いようです。(ただし、新たな道は、T字路が十字路になるのですが、昔の幹線道路だった水路沿いの狭い直線道路に、カーブや勾配があって広いけれど見通しの悪い道路が交差する形になり、非常に危険な道になりそうな予感がします。本末転倒では?)

 ちょっとした譲り合いの気持ちを持って、狭いのに人も車も利用するのだから安全な速度で通過すれば、大きな問題はなく、大がかりな工事で莫大な予算と労力をかける必要はなくなります。もっと他にお金をかけなければならないことがあるように感じます。

 真実は一つでも、正義は一つではない。
 今まで何の問題もなかったはずの権利がある日突然奪われてしまう理不尽。今コロナ禍で、飲食店が目の敵のように言われ、きちんとした保証も無いまま時間短縮や休業せざるを得ない状況になっています。世の中のあちこちにある理不尽を子ども達の時代にもそのまま引き継がせたくはありません。人の数だけある正義の違いを可能な限りゼロに近づける努力をしていかなければと思います。

 

2021年04月21日